南宮の風

Report a@03
追憶の三ヶ野鉄道
     
    
     
三ヶ野鉄道の沿革
      
  三ヶ野鉄道は、三ヶ野地方の特産物である「たばこ」の輸送を目的に、1912年(明治45年)7月19日に設立された三ヶ野軽便鉄道に始まる。

  三ヶ野軽便鉄道は、国営鉄道の坂崎から庄野間を1914年(大正3年)5月10日に開通させ、蒸気機関車による運転が開始された。1923年(大正12年)8月2日には、貨物の国営鉄道直通化を図るべく全線改軌し、翌年社名を三ヶ野鉄道とした。
  1926年(大正15年)に黒野軌道が開業すると、黒野軌道の上本郷から追分を経て、高津町までを結ぶ路線(本郷線)を計画した。このうち、計画区間の上本郷〜追分間は1931年(昭和6年)3月10日に開通、あわせて坂崎から上本郷間を電化したが、追分〜高津町間の建設は計画だけで終わった。これは鉄道収入の大半を占めていた「たばこ」の輸送が、年々トラックに移行していたため、収入が減少傾向にあり経営を圧迫し始めていたからであり、このような状況の中では三ヶ野鉄道も新線の建設どころではなくなっていたのである。
  三ヶ野鉄道は経営の安定化を図るために、下本郷から砂利採取線を建設し波瀬川から採取した砂利の輸送を開始した。一方、鉄道による「たばこ輸送」は、昭和12年頃にはすべてトラックに変わり、鉄道での輸送に終わりを告げた。このことを受けて、三ヶ野鉄道は1938年(昭和13年)7月25日に「たばこ輸送」を正式に廃止すると共に、庄野〜追分間(三ヶ野線)もあわせて廃止した。
  1944年(昭和19年)3月1日、三ヶ野鉄道は黒野電気鉄道と合併し、本郷線の追分〜下本郷間が廃止されたが、砂利採取線(川端貨物〜上本郷間)だけは黒野電気鉄道に引き継がれた。
    
    

    
路線概要(昭和6年 本郷線開通当時)
    
 三ヶ野線(単線)
駅     名 区間距離 累計距離 交換 備   考
坂   崎 さかざき      国営鉄道乗り換え
追   分 おいわけ 1.7q 1.7q 本郷線分岐、変電所
一   色 いっしき 1.5q 3.2q            
庄   野 しょうの 1.3q 4.5q                
 本郷線(単線)
追   分 おいわけ              三ヶ野線分岐
川   跡 かわと 2.4q 2.4q                   
下 本 郷 しもほんごう 1.5q 3.9q  ○     
上 本 郷 かみほんごう 1.8q 5.7q  ○  黒野軌道乗り換え
    
    

    
三ヶ野鉄道の旅
     
三ヶ野線 (坂崎〜庄野 4.5km)
     
  三ヶ野線の起点である坂崎駅は国営鉄道との共同使用駅である。国営鉄道のホームと三ヶ野鉄道のホームとの間には貨物用の側線が広がっている。貨物輸送が主流の三ヶ野鉄道だけに駅構内は貨車の入れ替えでにぎやかである。
  坂崎駅を出てしばらくは進行方向右手に国営鉄道線、左手に日本たばこ産業(旧:専売公社)の工場引き込み線と併走する。やがて、緩くカーブして三ヶ野線・引き込み線が国営鉄道から離れ、街道の踏切を越えると日本たばこ産業の工場が見えてきて引き込み線が工場内に吸い込まれる。三ヶ野線はこの工場を回り込むようにカーブして工場横を走り、車窓の風景は田園へと変わる。やがて住宅が増え始め、車窓の風景が町並みへと変わると、追分駅に到着である。
  追分駅は、三ヶ野鉄道の中心駅であり車庫はもちろん駅舎には本社が入っている。また、ここから本郷線(追分〜上本郷間)が分岐している。農作物を中心にした貨物の取り扱い量も多い。
  追分駅を出て、本郷線と併走し町並みが途切れると本郷線が左にカーブして去ってゆく。車窓には田園風景が広がり、その中を電車は真っ直ぐに走る。一色駅は田圃の中に突如と現れる片面ホームだけの駅である。一色駅を出たあたりから車窓の風景は田圃から徐々に畑に変わる。この畑で作られている農作物はもちろん特産物の煙草である。畑の中をしばらく走り、街道が寄り添うようになると庄野の町である。庄野の駅は町の北端に位置する。
  庄野駅の構内には貨物側線が広がっている。旅客用ホームは小さな片面ホームのみである。線路は駅から400mほど進んで終わる。
     
     
本郷線(追分〜上本郷 5.7km)
    
  本郷線は三ヶ野線の追分駅から分岐する支線である。三ヶ野線と分岐したあと、追分の町並みの縁をカーブしながら走り上本郷へと向かう。町並みから田園風景へと変わり、田圃の中をひた走る。
牧田川を渡ると町並みとなり川跡に着く。川跡を出て道路と併走し、波瀬川を渡ると下本郷に到着する。下本郷からは波瀬川への砂利採取線が分岐している。そのため、構内には側線がある。下本郷をでて右にカーブ、田圃の中を進むと終点上本郷である。
    
    

      
三ヶ野鉄道の車両
      
  デハ1形

三ヶ野鉄道が昭和6年の電化にあわせて製造した11mの小型車で3両が製造された。昭和13年、三ヶ野線の廃止に伴い2両が廃車され他の鉄道に譲渡された。
  デハ50形

昭和10年のダイヤ改正で本郷線の増発に備えて登場した13m車である。2両が製造された。
  ED17形

三ヶ野線の電化に伴い、貨物輸送用に国営鉄道から払い下げられた電気機関車である。三ヶ野鉄道には2両が入線し、三ヶ野線の貨物輸送および本郷線の砂利輸送に活躍した。