南電における貨物輸送は、大正15年の開業以来、沿線地域の農作物の輸送を中心に行ってきた。ほとんどの駅で米などの農作物や肥料などの貨物を取り扱いしていた。昭和13年に路線が白山まで延長されると、農作物の輸送に加えて、木材などの輸送で貨物輸送量は急増した。
戦時中には沿線に軍需工場が出来たため、軍需輸送に備えて電気機関車を一両増備している。また、昭和19年には三ヶ野鉄道を合併したことにより、砂利輸送(川端貨物〜東関屋間)を引き継いでいる。
戦後になり、軍需輸送は無くなったものの、沿線に中部毛織の工場が建設されたので、貨物輸送量としてはあまり変化していない。 |
昭和30年代後半になると、道路が整備されてトラック輸送が急成長してきたために、南電においても昭和39年1月には貨物取扱駅が集約化され、東関屋・大津町・今泉・黒野・白山のみの取り扱いとなった。また、このときに砂利輸送が廃止され貨物輸送量は大幅に減少している。 |
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昭和47年には中部毛織の貨物輸送が廃止され、これ以降急速に南電の貨物輸送は衰退してゆくこととなる。それでも昭和50年代前半には一日数本の貨物列車が走っていた。
昭和59年2月に国営鉄道の貨物輸送がヤード方式から直通方式に変わったことにより、南電の貨物輸送は東関屋〜白山間のセメント輸送を残してすべて廃止となった。このセメント列車は昭和61年11月まで運転され廃止となり、南電から貨物列車が姿を消すこととなった。
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