玉名城は直川と野瀬川の合流地点にある舟形山に築かれた平山城である。

天正13年(1585年)この地に入封した板倉勝政は松浦城を居城としていたが、松浦城が手狭になったため、舟形山の独立丘陵に新たに築城した。文禄2年(1593年)に現在の主要部が完成し入城する。また、勝政は城下町の建設にも力を注ぎ楽市楽座の制度を定め城下の繁栄を図った。
慶長13年(1608年)板倉氏にかわり水野忠直が入封。忠直は城郭の拡張を開始し松の丸および北の丸・外堀を築き、三の丸の内堀を整備し堅固な縄張りとした。以後廃藩まで水野家が代々居城した。
天明4年(1784年)の失火で御書院(本丸御殿)の大半と詰め門(渡櫓門)・武具櫓・月見櫓が焼失してしまっている。
明治2年(1869年)の廃藩後、建物の多くが取り壊された。
玉名城および登場する人物はフィクションです。実在する地名・人物とは関係がありません。



     
玉名城 本丸 エリア 
     
玉名城天守東面。

本丸には三層六階の天守が現存している。
かって本丸には御書院と呼ばれる本丸御殿があった。
     
本丸西隅に位置する月見櫓。(復元)

月見櫓は天明4年(1784年)の失火により焼失した。
平成5年、築城400年を迎え玉名城の整備が行われ月見櫓が復元された。
    
本丸高石垣。

現在、城跡の主要部は玉名城公園となっており四季折々の自然が楽しめる。
       
本丸と二の丸の間にある詰め門

以前は渡櫓門であり、武具櫓とつながっていたが天明の火災により、武具櫓とともに消失した。詰め門は再建されたが、武具櫓は再建されなかった。